最近、平井信義先生著の子育てシリーズを読んでいるこの頃、もちろん私の興味分野の「お絵描き」も共に読んでいる中で、相乗的に私の中で理解が深まってまいりました。
さて、子どもの教育へ行く前に親自身(私)の行動や意識傾向を把握し、利点と欠点をなるべく客観視するようにつとめなくてはなりません。そして、利点はより良く伸ばし、欠点はそれによって補えるよう工夫を凝らさなくては行けませんね。なんと言っても、子どもは幼児期後期には人間として、その殆どの基礎的な部分が整ってきます。
そんなわけで、子どもは既に性格、人格の基礎は小学校に上がる頃に形成されてきますから、子どもも親の利点と欠点が見え、自分との差を感じて参ります。そうしますと、子どもは矛盾の中で暮さなくては行けませんし、親の自己中心的な感性は、自分を棚上げにすることを当然として吸収してしまいます。無論、12歳ころまでは子どもの心は柔軟で自分の意思・意見・行動に今一つ自信がないのが一般的です。(最近は9才頃までとも言われています。思春期が早まったのですね。)
では、どうしたら良いのだろう?私も悩みましたし、考えました。そして、平井先生の本を聖徳短期大の児童学部生に紹介され、嵌りました。どのようにはまったかと言えば、ます。子どもの興味と親の感性を見た時に、子どもの興味を優先させて、多少問題があったとしても、本人の気づきを得させ、解決のスキルを押さない頃から見につけさせる工夫をすることが大切だと言う所です。そして、何があっても怒らずに、それを制しまたは修正を促す場合は、子どもの情に訴える方法をもって行なうと、子供は抵抗なくそれを受け入れる事が判明した。と言うことです。
親は、脱線している方が、親も子も楽しい。子供の前で、いかにバカになれるか、素直に親の欠点を披露し、そして、いかに一生懸命遊び、楽しむかを子どもと共に生活する日々で重ねることによって、熱中することの楽しさを知るようです。
でっ、これを見ると単に我侭に育てている様にも感じてしまいます。とても心配になりますね。でも、先生のお子さんもお孫さんも良く伸びています。
私も、<<子育ては心を育てる>>を胆に銘じて接していきたいと思います。これは、親の意思に反することを子どもが行なった場合、子どもの情に訴えかけるよりも、怒鳴ったり、叩いたりしがちかと思いますが、これは「強者が弱者への支配権の行使」と言える。尤もです。子どもが生れて直に親と同じ体であれば、反抗されて殺されるかもしれませんね。話しがずれましたが、衝動的にならず落ちついて少し時間を持って子どもに情で訴え、子どもに「ああ、これをやるとパパ・ママは困るからやめとこう」と言う風に気づいてもらう努力と忍耐を求められ、これが子どもと親は共に育つの概念だと言っていらっしゃる。
なるほど・・・。
私も、忍耐と情の使い道を修正して頑張らなくてはなりません。人間としていかに対等であるべきかを♪
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